幼い頃って
どっちが前か後ろか
判断できなくって
いつも家族に聞いていた。
祖母に聞くと
「くれてるほうが前よ」
と一生懸命教えてくれたけれど
その言葉の意味が分からなくて
戸惑っていたけれど
今は着替えるたびに
祖母の言葉を思い出す。
皆さんはなんて教わりましたか?
着替えの練習懐かしい。。。
mio
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幼い頃って
どっちが前か後ろか
判断できなくって
いつも家族に聞いていた。
祖母に聞くと
「くれてるほうが前よ」
と一生懸命教えてくれたけれど
その言葉の意味が分からなくて
戸惑っていたけれど
今は着替えるたびに
祖母の言葉を思い出す。
皆さんはなんて教わりましたか?
着替えの練習懐かしい。。。
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小学校1年生の時に書いた絵や
小学校4年性頃に彫った版画が
いまだに祖父母の家に飾ってある。
今年もう30歳になるのに!!!
何年飾ってくれてるのだ(泣)
嬉しすぎる。
ちょっとした出来事から
祖父母の愛を感じるね。
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これも幼馴染と遊んでいた時の話。
アイロンビーズブームが去り
おままごとのご飯としてアイロンビーズを
使っていた時、
何度も何度もこぼしまくり
何回「片付けられないなら、掃除機で吸っちゃうよ!!!」
と脅かされ、泣く泣く時間かけて
2人で片付けたなぁ〜
ご飯としてr使っていたのが
間違いだったなぁと思う。。。
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幼い時住んでいた家の
斜め前の家に友人ができた。
毎日のように私の家に遊びに来てくれ
自分のお部屋で2人で遊んでいたけど
どうしてもごっこ遊びの中で友人が譲ってくれなかったものがある。
それは「お母さん」という役だった。
やりたくてしょうがなかったけど、その子と仲良く毎日遊びたいし
その時間が何より楽しかったから、譲っていた。
今思えば「やりたい!日替わりでやろうよ!」って言っても良かったんじゃ?
って思うくらい、なんてことない話だけど
その頃はそんな発想もない。
今思えば「ふふふ」な話♪
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私はいつも保育園に
「絶対に行きたくない!」
と思っていた。
そんな私を両親がどうにかしてご機嫌とって
行かせようとしていっていたマック。
マックが大好きで
朝行けるだけで
保育園頑張ろうと思えた!!!
単純な私。
けれど朝の送りだけでも大変なのに
毎日マックにつれて食べさせてくれた
両親に感謝している。
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子どもの頃
道端で1円を拾って
交番に届けたことがある。
1円で?って思うかもしれないけど
大切な誰かのお金だと思ったから。
警察の方も真剣に真剣に用紙を手渡してくれて
ここに落ちていた状況などを書いてくれる?
と言われたので書いて持ち主が現れるように
願ってお願いしたけれど。
保管期限を過ぎたので引き取りに来てくださいと
連絡があり引き取った。
今もその一円は大事に封筒に入っている。
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保育園の帰り
徒歩で帰っていたが
途中でトイレに行きたくなることが
多かった。
その時にいつも
トイレを貸してくださっていた
お米屋さんがあった。
いつでも
「いいよ〜」とおっしゃってくれた
今でも覚えていて
思い出すと感謝しかない。
おばちゃん、今でもお元氣かなぁ
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本屋さんで久しぶり
何か読んでみようとしたけれど
読みたい本がなかったので
雑誌コーナーに行ったところ
まちがえさがしコーナーがあって
たまにはやってみようと
何冊か購入!!!
ハマってしまって
時間を忘れてしまうほど
充実した時間が!!!
まちがえ探しは今年のマイブームになりそう。
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私が通っていた小学校は
障害のあるなしに関わらず
誰でも入学できた。
偏見されたり、差別されたり
そんなことはなく
「障害は個性の一つ」という
教えの中で、育ってきたので
大人になった今でも
障害があってかわいそうなんて
思わないし、むしろ
こんなことも、あんなこともできるんだ!
いや〜見習わなくちゃ!
なんて称えあえてた。
誰かに希望を与えられてる人に
一人ひとりがなれる学校だったな。
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小学校には学童が併設されていて
学校の後に学童に通っていた。
そこでコマ検定というのを
毎年開催していて
児童たちは上を目指して
練習したり、教え合ったりしていた。
徐々にみんなが上達していくのを
みんなで喜んだり讃えあったり
とっても微笑ましい時間だったな。
と思った。
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